8月2日(日)に土星の逆行が終了し、蠍サインの「終わり度数ゾーン」を順行しています。
心の奥深くに沈潜していた思いの再浮上(逆噴射)を経て、
そうした思いに対処していくための前向きな「大人の態度」「実践的な姿勢」が
今後しっかりと、着実に身についてくるとき。
面白いことに、ちょうどそのタイミングと重なったこの週末以降、
ピンクが美しい石&ブレスレットたちとの再会続きでした。
まずは、2年前のGWに限定でお作りさせていただいたLOVE Breath。
【ディープローズクォーツの美しいピンク色は2年経っても変わらず。Mさん、お土産ありがとうございます☆】
そして、この春リリースさせていただいたKUSHINADA ~女神の紋章~(クシナダ with SUSA)。
【お嫁入りしてから初めての「里帰り」。とってもお似合いでした! Kさん、お土産ありがとうございます!】
休業日には、不忍池(上野)にて、
花数こそ少なかったのですが(今年はそうらしい)ピンク色の蓮の花との出逢いが。
水面からしっかりと伸びた茎、そして蕾。
そうっと、触れてみる。僅かに揺らしてみる。
たゆん、とした感触とともに、
蓮の揺れに呼応する水面のゆるやかな動きが指先にずっしり伝わってきました。
蓮が育つのは清らかな水を湛えたところではなく、にごった泥水が豊富な場所。
大きな花を咲かせるには、その環境が必要なのだそう。
(きれいな水でも育ちますが、小さな花になってしまうそうです)
「汚れた環境の中でも影響されることなく清らかさを保っていること」
「困難な状況にあっても、よろしくない影響に染まることなく、心の清らかさを失わないこと」
そうした意味を持つ「泥中の蓮(はちす)」という言葉は、ここからきています。
「泥中の蓮」。
蓮は・・・泥水を苦々しく思いながら咲いているようには見えない。
そこに不快感のようなものは一切なく、
あくまで軽やかに、見事に、自分自身の有様を貫いている。
「困難な状況にあっても、よろしくない影響に染まることなく、心の清らかさを失わないこと」。
これは「困難な状況を我慢すること」とは全然違う。
「困難な状況にいつの間にか慣れきってしまい、ほんとうは不快なのに、
自分が不快なのかどうかもわからなくなってしまっている(自分の気持ちがマヒしている)こと」
とも違うのだと思う。
我慢をするからより不快になり、より不快になればなるほど、
その不快感に慣れきってしまい「それが普通。いつものこと」になってしまう。
そして・・・自分がほんとうはどうしたいのか、何を望んでいるのかが
皆目わからなくなる。
自分がほんとうは「蓮の花」だってことを、忘れてしまう。
「泥水=困難な状況」には、自分をより大きく育ててくれる
「栄養分のようなもの」がたっぷりと含まれている。そういう側面もあるのだと思う。
だからといって「自分は泥水なんだ」と勘違いするのは、やっぱり違う。
別に泥水がまずいわけではなく・・・泥水と蓮の花は、別物。
ただそれだけ。
自分がほんとうは「蓮の花」だってことを忘れてしまうのは、
「抱えすぎているから」なのかもしれない。
土星は(天王星とはまた違った意味で)「まるのみ」を嫌う。
そのために「吟味」する作業は、大好き。
我慢して抱えすぎているものを、手放す。
これまでよく吟味することなく「まるのみ」にしてきたまわりの意見や考え、提案、感情を
「これはわたしのじゃないから、いりません」と、こころの中で当人に返す。
自分が蓮の花だってことを忘れてしまっているのは・・・
たいてい「自分のしあわせはさておき」他の人のしあわせを優先してしまっているときか、
他の人からその人をしあわせにするよう
(気づかないところで)押し付けられているときなのかもしれない。
人の荷物ばかり持っていると疲れてしまって、
ほんとうに自分が欲しいと思うものを手にすることができないものね。
それをほんとうに自分が欲しているのかどうかすら、わからなくなってしまう。
そういうときは・・・
持ちすぎている荷物を、お返しする合図です。
「これはいりません」
落ち着いてそう表明できるのが、大人だと思うんだな。
<お知らせです>
★ 8月上旬WebShopに新作ブレスレットUP予定です。
・「天地同根」シリーズ
★ 8月中旬WebShopに「Angel’s GIFT」UP予定です。
・Angel+石のセットになります。
★ 「星の集会」(占星術講座「星ラボ」)9月中旬頃新クラス開講予定。8月以降募集開始します。
【次期開講は隔週土曜クラスとなります】