木曜日以降、九州の大地が揺れ続けています。
10代から20代後半にかけて彼の地へ居住していただけでなく、
この仕事をはじめてからもお世話になることの多かったこの身にとって、
とても「ひとごと」とは思えない。
熊本は会社員時代に担当していたエリアで、どの方もほんとうによくしてくださった。
竹を割ったような「明るさ」と分厚い毛布のような「あったかさ」を、
ペーペーの小娘(だった時分がわたしにもあったのである)に
惜しみなく分け与えてくださる方ばかりで、
仕事を離れたところでも黒川温泉や阿蘇周辺などの人気エリアはもちろんのこと
美味しいお酒と郷土料理をふるまう数々のお店にすすんでお連れしてくれるだけでなく
「お代はいらぬ」と決して受けとってくださらない。
そんな、かぎりなくやさしくて豪快な「土地柄」が宿る「場」、熊本。
「土地柄」って、昨日今日でつくられるものではない。つくれっこない。
長い年月をかけて積みあがってきたもの。年月をかけないと宿らないもの。
「土地そのもの」がどんなに揺れようとも、「土地柄」は、なくならない。
わたしひとりの「ちから」なんて、ほんとうに微力。
でもさ、微力だろうが何だろうが、そういうの、関係ないやろ。(自分への問いかけ)
お世話になった方々へと繋がるルートを通じて、自分にできることをはじめています。
微力ながら。
自分がなんらかのACTION を起こすとき
「結局自分は、何をどうしたくて、今それをしようとするのか」、
この「動機」の部分をしっかりと見極め続けていきたい。
熊本はもとより九州にいらっしゃる方々のもとへ1日も早く
安心して穏やかに過ごすことのできる日々が戻って来られますよう、心より願っています。